清流 長良川

 
 
 
 
 
 
 

治水の歴史

治水の歴史長良川の歴史は治水の歴史でもあります。
古くより洪水や分流、合流などを繰り返してきた長良川は多くの取り組みによって治水され今の形を保っています。
歴史において残っている洪水の歴史の始まりは1534年。天文3年に大洪水が起きたことが伝わっています。
その後、1754年から始まった宝暦治水においては、江戸幕府の命令により外様大名である薩摩藩、島津家より多くの犠牲を伴なう形で揖斐川との油島締切り工事が行われました。現在、国営木曽三川公園治水センターにおいて当時のその資料などを見ることができ、その際の犠牲者と弔うための千本松原が併設された神社にはあります。
また、明治に入っても治水の歴史は続き、明治45年(1912年)にも大掛かりな治水工事が行われ、オランダ人技師のヨハニス・デ・レーケの指導により、木曽川、揖斐川、長良川の三川分流工事が行われました。
小学校の社会の教科書にも出てくる輪中というのもこの工事により成り立つようになりました。