日本の戦国の歴史の上で出てくる長良川の戦い。
この戦いは1556年斎藤道三とその息子である斎藤義龍との間で行われた合戦のことです。
当時、美濃(現在の岐阜)に本拠を構えていた斉藤家は1542年に土岐氏に代わり斎藤道三が美濃の国主となったことから始まります。斎藤道三はまむしの道三とも呼ばれ、あの織田信長ともいろいろあったということはよく知られているかと思いますが、その斎藤道三が討死した戦いこそ、この長良川の戦いなのです。
1542年美濃の国主となった斎藤道三は1554年その嫡男である斉藤義龍に国を譲る形で隠居しました。
しかし道三と義龍は様々な面で不仲であり、次第にその状況は深刻化していきました。そんな中、道三はそんな不仲な義龍ではなく義龍の弟を跡継ぎとして据えようと考えるのです。
1555年そんな道三の動きに気がついた義龍は、稲葉山の屋敷に二人の弟を呼び寄せ、暗殺させそういった流れから道三との確執は一層広がっていくものとなっていくのです。
そして4月18日17500名の義龍軍と2700名の道三軍は長良川で戦い、織田信長の援軍も間に合うことなくイカンともしがたい兵力差でかの斎藤道三は討死してしまうのです。